清津川ダム建設の経緯
ダム建設中止時の考え方
ダム建設中止後の要望書
ダム建設中止後の補償法案
清津川ダム対策協議会役員総括
ご意見


清津川ダム建設中止について

ダム建設予定地の私たちは30数年間、ダム絡みの生活を強いられてきました。昭和41年当初は、スキー場開発と 同時に問題になり100数10世帯の集落は、色々な夢にあふれダム建設反対、賛成へと住民の考えはさまざまでした。 しかし、長い年月が地域住民の精神的な疲労と対応に追われ時間的損失が住民生活の妨げとなってきた。 それは、これまで国が「ダムを造る。」と言ったところで、造らなかったところはなかった。そんなことから地域住民は、時間を割いて自分達が納得する為に、会議や視察ほか、関係機関との対応に追われ続けてきました。 しかし、30数年間も造るに徹した国も、財政難のためか、世論のためか、公共事業の見直しを理由に掌の平を返したように「ダム建設中止」を決定しました。


ダム建設中止にあたって、起業者である国の責任所在を
明確にしない限り今後も同じ問題が発生する可能性が大である。

今までの「公共事業であるダム建設」は、長い年月を費やして予備調査、そして実施計画調査がなされ建設工事に入っていました。しかし、清津川ダムは予備調査後、一度は地元民の同意を得ずに実施計画調査に入り、国と地元の断絶関係を発生させました。その後あまりにも長い年月が経過し、問題解決に向けて実施計画調査を地元が受け入れましたが、その後の「公共事業見直し」がなされ、思う様な成果が得られないまま中止となってしまいました。国は何のためらいも無く自ら犯した責任を、明らかにせず何の責任も取ろうとはしません。


私たちは、少なくても地域住民の今までの計り知れないダム建設問題に対して費やした長い年月の心労を考えて欲しいのです。起業者は、犯した罪の責任所在を明確にして、自ら償うべきでしょう。この清津川ダム建設問題は、国が必要と認めて、長い年月を費やしたにもかかわらず、どんな理由で、誰が、どうして必要としないかを決めたのか、それを今迄悩ませ続けた地域住民に、きちんとした形で説明すべきではないでしょうか。そして、事業中止後において起業者の責任所在を明確にしない限り、ダム建設立地に適すると思われる三俣地域は、ダム建設問題に、悩まされる子孫が見え隠れするものであります。 何処の地にあっても、公共事業という目に一度睨まれた地域は、その責任所在をきちんとしない限り、いつまで経っても次々と同じ問題に悩まされ続けると思われます。

私たちの思い
誰の発案での計画であろうが、起業者というものはまわりに責任を押し付け、形だけの世論の流れに押された行動を取ってはいけないのではないでしょうか。 また、国がダムを造る為に動いていた時期に、基金まで募って行動していた下流市町村団体は今どうなったのでしょうか。 中止に至った場合も、その組織は残して私たちの、心労やら物的損害を被った地域の為に、何らかの協力があってしかるべきではないでしょうか。 また、公共事業見直し時期に当地まで来町して動いていた政治団体、政党の方々、そして色々な自然保護団体、直下流の某村はどうなのでしょうか。中止にするだけで終わりで、その後の支援をして頂けないものですか。 ダム建設工事が中止になったら、誰独り私たちに誠意ある協力を、してくれた人達はいないのではないでしょうか。 私たちの地域に残ったのは、あまりにも長すぎたダム建設での諸問題の為に、動いて費やした無駄だった時間的損失と精神的な疲労です。そして、地域内でのギクシャクした付き合いではないでしょうか。 今度こそ、起業者の国は、責任をもって受益者の新潟県と協力して、地元町行政やら地元団体の意見を聞いて、補償と地域振興計画を策定すべきではないでしょうか。
補償については第三者機関制度の導入、地域振興計画には民間も入れたらどうでしょうか。 私たち清津川ダム対策協議会が、いまだ存続しているのは上記記載の方々のきちんとした対応がなく、対策が滞っているためです。これが故に、私たち清津川ダム対策協議会員が納得するまでは「無い法は作り、有る法は活用すべし。」として活動するものです。